清貧の思想を読んでの感想。

(2011年04月22日)

先日、中野孝次の、『清貧の思想』を読みました。
ここでは何も生活を形だけ切り詰め、清貧に生きることを
訴えていたのではありません。問題は心のありようです。
本当の豊かさは外面的なものではなく、
内面的なものであるということ。
そして心の豊かさとは何か、
人間本来の生き方とはどういうものかを追求したのが
「清貧の思想」という本でした。
 
この本では本阿弥光悦、鴨長明、池大雅、与謝蕪村、
吉田兼好、松尾芭蕉らの生き方を紹介し、
「清貧とは清らかで自由な心の状態」と述べています。
 
この本からの気づきについて話をします。
箇条書きになっています

◎日本には物作りとか金儲けとか、現生の富貴や栄達を
追求する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を
重んじる文化の伝統がある

◎低く暮らし、高く思う

◎いま地球の環境保護とか、エコロジーとか、シンプル・ライフと
いうことがしきりに言われているが、そんなことは我々の文化の
伝統から言えば当たり前の、あまりにも当然過ぎて言うまで
もない自明の理であった

◎慳貪とは、辞書によれば、欲深くして愛しみの心がないこと、
むごいこと、貪欲なこととあり、つまり自分さえよければ他人の
ことはどうでもいいというもののことだ

◎人がしあわせになるかどうかは富貴か貧乏かによるのではない、
ひとえにただ人の心のありようによるのである

◎人間は生きていくうえで必要欠くべからざるだけのがあれば良い、
それ以外の物なぞ何も持たないのが真の自由人というものである
 
◎足ることを知らば貧といえども富と名づくべし、財ありとも
欲多ければこれを貧と名づく

◎身辺をつねに欠乏の状態すれすれに置くことは、それ自体が
感謝をもって生きることの工夫である

◎欲望のままに放っておいてはこの世は争いの地獄になる
しかないという認識から諸悪の根源を欲望にあると見て、
平安を得るためには欲望を断てと教えたのが宗教であった
 
◎自分が生きて今存在しているという、これに勝る喜びがあろうか
 
◎死を憎むなら、その喜びをこそ日々確認し、生を楽しむべきである
 
◎なのに愚かなる人々はこの人間の最高のたのしみをたのしまず、
この宝を忘れて、財産だの名声だのというはかない宝ばかりを
求めつづけているから、心が満ち足りるということがないのだ

◎生きているあいだに生を楽しまないでいて、いざ死に際して死を
恐れるのは道理に合わぬことではないか

◎人がみなこのように本当に生きてある今を楽しまないのは、
死を恐れないからである

◎いや、死を恐れないのではない、死の近いことを忘れている
からに外ならない

◎世間のままに動いていては心の充実は得られない、世間並の
生から距離をとって己の心をしかと見つめよ、それこそ存命の
喜びを楽しむことだ

◎まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし

◎人間性をとりもどすために、われわれは生活をもう一度根本から
考え直す必要がある
 
◎もう一度、人が生きるためには一体何が必要で何が必要で
ないかを自分のために考えなければ、われわれはただ世間並に
流され、「一生は、雑事の小節にさえられて、空しく暮れ」
てゆくだけだろう

私は本当の豊かさ、真の安寧とは何なのか、現実社会において「清
貧の思想」を実行するための具体的方法、バランスのとり方を
改めて考えさせられました。