東日本大震災の災害復興ボランティア報告①

(2011年07月19日)

3月11日(金)に東北地方を襲った史上空前の大地震は、
これまでになかったような大きな津波を引き起こしました。
それが東北地方沿岸地域を飲み込み、悲惨な大災害を
引き起こしたことを私たちは連日テレビなどで見ています。
私は被害を受けた方々の悲しみと惨状を思うとき、いても
たってもいられない気持ちになりました。
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そして、私は、ゴールデンウィーク以降延べ5回、被災地に
入り、ボランティアをしてきました。友人達に、よくこれまでのことを
コラムに書いたらとよく言われました。今日は、そのことについて
話をします。
 
被災地として主に入っている場所は、主に石巻市雄勝町と
いうところ硯石の産地です。東京駅の屋根瓦にも使われる
上等な石を算出している、美しい町です。
主に、避難場所である、大須小学校がある、少し小高い丘の
住宅地には住宅が残っており、殆ど被害を受けていません。
しかし、海に届く一段低い土地は、全てが破壊され、まともな
建物も自動車も一切残っていません。自然の前では鉄は、
まさに紙くずです。
巨大な津波の力のもとで粉々になり、押し流され、崖の下に
堆い廃棄物の山のように押しつけられている情景でした。
 
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その情景に私は鮮烈な印象をもちました。車がようやく通れる
ように細い道路が復活していました。地元の人々を消防団や
特に自衛隊が助けて通路をつくったものと思われます。
 
ただ散乱する巨大な残骸を両側に押しのけるので、残骸は更に
大きな山になります。その中には破壊された大きな漁船なども
含まれており、異様な光景です。
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東北地方の沿岸部は津波の恐ろしさを、これまでも度々味わって
おり、人々はそのために防御態勢をしっかりと構築していました。
港という港、海岸という海岸には高い堤防が築かれていました。
 
東北の市町村にも警報体制があり、津波警報が出ると人々は、
一目散に小高い丘に登ることになっていました。
人々の常識は数年前に日本を襲ったチリ沖で起きた大地震の
津波です。巨大な地震がチリの沖で起き、引き起こされた津波が
数千キロの太平洋を横断して日本列島を襲いましたが、
その間にはかなりの時間があり、また襲ったときの波の高さは
3,4メートルでした。
 
それを基準に多くの町では6~10メートルの防御壁をつくり、
警報体制が整備されていたのです。ところが今回の津波は、
その経験値を遥かに遥かに上回りました。
震源は視界に映るほどの近接地であり、地震発生とともに30分
以内に海面が10メートルほど持ち上がりましたといわれています。
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チリ地震のときの経験で、人々は津波警報を聞くや一瞬家に駆け戻り、
印鑑と通帳を取りに行ったといわれています。
その方々は家を出ないうちに津波に飲み込まれていったことでしょう。
津波は、チリ地震の数倍の高さで構築された10メートルの防御壁を
軽々と乗り越え、町に侵入してきたのです。
 
東北地方はリアス式海岸といわれます。大きな岩の岬が海岸に
ジグザグとそそり立っており、きわめて風光明媚な景色を創っています。
漁港や村々はその奥に点在しています。
その静かな港町や農村を津波が襲いました。
 
津波は海に向かって開いた両岸の山の間に侵入してきました。
海の高さは数メートルから10メートルほど、数十キロにわたって
高まるもので、それが速いスピードで陸に押し寄せてきます。
 
陸では両岸がだんだんと狭くなっていくので、狭くなるほど
水位は高まっていきます。波にはそのような現象は起きません。
しかし、津波は波ではなくて海そのものが高まりますので、
陸に押し込んできた海は陸の広さが狭くなればなるほど高く
なっていくようです。
 IMG_1013.jpgのサムネール画像
押し流され、破壊し尽くされた残骸をみると、海岸から3キロ、
5キロ、10キロと離れるごとに波の高さは10メートル、15メートル、
20メートル、あるいはそれ以上に高まったことがわかります。
 
その波は30分後に大きな引き波となって、破壊したものを海底に
引きずり流していきました。きっと多くの方々の命がその中で
犠牲になったことと思います。
 
NPO団体だんだんカフェの代表である稲垣ゆかりさんは、
地震発生と同時に、すぐに看護士として、石巻市雄勝町に
入ったときの状況を写真を交えて話をしてくださいました。
「田んぼには、海水がつかり北上川の土手は決壊し、大きな
橋まで決壊していました。警察や自衛隊の緊急車両の赤色灯が
ずっとずっと、列をなしていた。雄勝町は津波により孤立し、
救援物資がなかなか手に入らなかった。」
 IMG_1017.jpgのサムネール画像
石巻市は16万人強の住民の町ですが、確認された死者は
2,300名、行方不明者は1,000名あまりといわれています。
従って家族全部が建物の下敷きになり、あるいは海の底に
引きずり込まれた場合、誰も届け出をしないので、亡くなった方は、
おそらくこの数字の数倍に上といわれています。
 
美しいリアス式の岸壁には、もう何も残されておりません。
市場も、学校も、旅館も、住宅も、何もありません。全て破壊され
尽くされた瓦礫、その瓦礫の中に無数の自動車がぐちゃぐちゃに
なって積み上げられています。
 
典型的なリアス式海岸だったので、波は坂を上るごとに高くなって
いったようです。石巻から旧雄勝町に通じる道路を通っていきますと、
下から見上げる下から10メートル以上のところまで漁具などが
へばりついています。
勿論、家も人も車も何一つそこには残りませんでした。
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雄勝の人たちは自然を愛し、自然と共生し、自然の恵みに感謝を
して暮らしていたはずです。なぜその平和な人たちを自然は、
私達人間に対して牙をむき、考えられる最も残酷な方法で襲い
尽くさねばならなかったのでしょうか。
 
私はこれを悪夢と思いたかったです。もちろん、被災者の方も
悪夢と思いたかったでしょう。しかし、目を開けるとそれが現実です。
現実である以上、私たちは自分たちのためにも、そして次の世代の
ためにも、どんな苦労をしてもこの問題を解決せざるを得ません。
 
政府は初めてのことなので、もちろん一生懸命にやってはいます。
そして、たくさんの失敗を犯しながら頑張っています。
民間も同じでしょう。しかし被災者のみなさんこの運命を受け止め、
今は呆然としていますが、やがて皆で協力して、一歩一歩新しい
未来を築こうとしていくに違いありません。
 
私は、このような人たちの支えとなって、この国の復興の力になりたい。
なぜなら、東北の人たちの苦しみは、日本人全体の苦しみです。
東京や大阪、横浜だけで日本という国は成り立ちません。
東北や九州、北海道など、しっかりとした地方があるからこそ、日本国は
成り立つと思います。
 
わが国はこんな災害で崩壊してはなりません。皆で心と力をひとつにして、
この世界史上希有な危機を克服し、新しい日本を築くためにがんばります。